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アフラトキシンB1米輸入を決めたのは小沢一郎さん
>コメ輸入自由化を決めたのは、
>九三年発足の細川連立内閣で
>その中心にいたのが、
>当事新生党代表幹事だった小沢一郎氏
闇将軍率いる 「細川内閣」
(93・8~94・4)
=新生、公明、日本新、民社、民改連、さきがけ、社会などの連立内閣は=
金丸金権汚職批判を受け竹下派を割って自民を飛び出した小沢一郎は細川連立内閣を仕掛けた。 細川内閣の主要な仕事は、民主政治を骨抜きにする小選挙区制導入と政党助成法の成立だった。
更に・・・93年12月に外米(ミニマム・アクセス米)輸入受け入れを表明した。それが根本的な原因なのに・・農家は忘れている。
細川首相は自らの「佐川急便汚職疑惑」が浮上するとあっさり、政権を投げ捨てた。
小沢の傀儡政権 「羽田内閣」
(94・4~94・6)
=新生、公明、民社、日本新の連立
強引な小沢政治に嫌気をさし、社会党が連立をぬけ出て2カ月の短命に終わったのが羽田内閣。断念することになったが「厚生年金65歳支給の年金改悪法案を成立させようとした」・・・このときから既に年金離れが始まった。
※ 一度は小沢に政治を任せたいと言うのが近年の世論だが・・・既に二度失敗しているのではないか。・・・・いつも頭から離れない疑問だ・・
そして、仕上げは 「村山内閣」
(94・6~96・1)
=自民、社会、さきがけの連立
自民党にかつがれた社会党委員長の村山首相は、日米安保体制・自衛隊容認を国会で表明し、自民党政治を推進したが。消費税改悪やコメ輸入自由化、年金改悪を強行しした。
神戸大震災で、自衛隊支援要請が遅れ、燃え盛る火の手に「空からの消化剤投下」による市民の窒息状態を恐れるあまり、躊躇し、その結果多数の犠牲者を出してしまった。初期対応の拙さが際立ったのみの政権であった。
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