10/03/28 12:42:02 kL/Utlc/
>>334
江戸に治水や漁業の知識が乏しく、堤防の作り方も知らず川が溢れれば洪水になり放題、
目の前が波穏やかな内海なのに魚の採り方も知らない、ということを問題視した徳川家康と
上洛してすっかり上方贔屓になった家光の代に二度にわたって、淀川河口の漁民や干拓農家を
呼び寄せて隅田川河口の干拓権、湾内・付近の河川での漁業権、江戸の町での鮮魚の専売権を
与えた、ということで、三河でなく、摂津国からの移住のはずだ。
佃という地名も、原住地「佃嶋」にちなんだものだと伝わってるし、住吉神社も、大坂から
勧進したものだし。