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ロシニエールの村に到着するやいなや、ある建物が目に入る。村を訪れる人々は幻を見ていると錯覚する。
大きな家が村の中心を占めている。その家は、ある年代記には「亀の甲羅のついた城館」と表現されている。
この「グラン・シャレー」は伝統的なスイスの建築様式の至宝である。それは、この地域の職人によって、
4年間もの歳月が費やされ、1754年に完成した。
当時、弁護士であり、実業家であったジャン・ダヴィッド・エンショズは1750年に巨大な建築物を建てることを思いついた。
本来、彼はこの建物をこの地域のチーズ倉庫にし、チーズを商品化してビジネスをするために、この建築を計画した。
さむらい伯爵夫人
この「グラン・シャレー」は、今ではバルテュスの未亡人であり、伯爵夫人である、節子・クロソフスカ・ド・ローラ氏が所有する。
この、ほかの時代から突如現れたような雅 ( みやび ) な女性は、写真撮影のために来た訪問客を迎え入れた。日本の着物が
似合う伯爵夫人は、2階にある応接間へ訪問客を案内した。そして、応接間の席に着くと、思い出に浸り、彼女の邸宅の歴史を語った。
芸術家であり、ユネスコ大使も務める節子婦人は、日本の由緒ある家に生まれ、武士の血筋を持つ家庭の温かい庇護(ひご)
のもとで、東京で生まれ育った。
1962年、彼女はバルテュスに出逢った。当時のド・ゴール政権下の文化大臣アンドレー・マルローが美術展のために
バルテュスの来日を計画し、その際に愛が芽生えた。バルテュスは、美しく若い節子婦人に一目惚れし、その後間もなく
結婚した。そして、1977年から2人はロシニエールにある「グラン・シャレー」に居を移した。
この建築物の規模にはただ圧倒される。南側の正面の大きさは幅が27メートルで高さは19.5メートルもあり、その上には
950平方メートルもの屋根が覆いかぶさる。このシャレーの建築には、700立方メートルのモミの木が使用された。
ごく「一般的な」家には30立方メートルから50立方メートル、もしくは15本から20本のモミの木で充分だ。