08/01/17 11:41:40
伊藤の新刊のアマゾンの新レビュー、面白かったのでコピペ
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そして「理屈語り」から「自分語り」へ, 2008/1/17
By 桐原保 (大阪市住之江区) - レビューをすべて見る
過去10年ほどの間にあちこちの媒体に書いた原稿を、
経年順に並べているために雑然とした印象を与えるが、
そういった刊行の形式はエッセイや評論に多く、
とりたてて言うようなことではない。
しかしこの本のようにある程度以上の分量があれば自然に著者の意図や方向が見えてくるものだが、
残念ながら読了してもこの本からはそういったものは浮かび上がってこず、
更には著者がマンガを語る切実な声も聞こえてくることはなかった。
在ったのは扱われるマンガの分析や紹介、説明といったものだけで、
どのようにマンガが変わるのかも分からないままで放り出されることになってしまったのだが、
マンガを語って切実な声が聞こえてこないのは著者の「理屈好き」によるところが大きいようだ。
マンガから意味をすくいとり自分のことばで読者にさし出してみせることが
マンガを批評することの初手だろうが、
著者はマンガを材料として自分の理屈を語る「理屈語り」とでもいうべき性向が強く、
対象への柔軟で慎重な姿勢に欠けるようにみえる。
この本の為に書かれた序文ではマンガの「語り」の変遷が述べられるが、
なぜ「語り」から「論」でなくてはならないのか、理解に窮してしまうのは別にして、
この文章の最後に唐突に現れる「マンガを愛する自分を貶めないでほしい」
という部文には強い違和感を持った。
自分を貶めるようなマンガとは一体どのようなマンガなのか。
謎ではありながら、唯一この部分に思わず漏らした著者の切実な声らしきものを聞いたような気もしたが、
そうであるなら、それは決して「愛」というようなものに関係するものではなく
「理屈好き」と同じく「性向」と呼ぶべきものだと思う。
この著者には徹底した「自分語り」を勧めたい。