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紀州徳川家三代藩主、綱教は急な病でこの世を去った。
四代目藩主には綱教の妹で、吉宗のすぐ上の姉、頼職が就くことになった。
母である光貞公は頼職には期待ができず、気落ちしたのか綱教の死後三カ月で
この世を去る。そしてそのひと月後、今度は頼職が突然の腹痛を訴え
急死してしまった。こうして、吉宗に五代藩主の座が転がり落ちてきたのである。
その時彼女は十二歳だった。
その頃、江戸。
女が美形の男と飲み比べをしていた。女が降参を宣言すると、男は女が
かけた一両を懐に入れてすげなく去って行った。
男の名は左京。大変な美形であり、一夜の相手を申し込んでくる女達に
飲み比べの賭けを吹っかけては金を巻き上げているのだ。
その美貌は実の母をも狂わせ、2人も子をなしていた。
左京に負けた女に同情した女が、ゴロツキを使って左京を襲わせた。
そこに家宣の籠が通りかかり、騒ぎを聞いた家宣は詮房に仲裁と怪我人がいた場合の
手当を申しつける。仕方なく詮房は、左京を拾って帰った。
目を覚ました左京の耳に、下男らしい男が家の事情でやめたという話が聞こえてくる。
詮房に礼を述べた左京は、下男としておいてほしいと頼み込んだ。
左京が家宣の江戸屋敷に努めると知った母(住職であるらしい)は
激しく取り乱すことはなかったが、「そなたが私なしで生きられる筈がない、恨んでやる、
呪ってやる」とつぶやいた。
左京の面倒を見てくれたのは江島という男だった。下男とばかり思っていたが、
左京はきちんとした格好をさせられ、文武も仕込まれるという。
仲間たちともすっかり打ち解けた左京を、詮房は思ったより美形だとほめた。
詮房に見染められたのでは?!と色めき立つ仲間たち。
詮房は家宣に異常なまでの忠義心をもっており、結婚していなかった。
しかし屋敷に入って半年後、学問や武道を納め男の上がった左京に詮房が命じたのは、
家宣の側室になることだった。詮房に惚れていた左京はこの女も自分を種にしか考えて
いなかったのだと自嘲する。そして左京は家宣の側室に上がることになった。