08/11/27 23:32:40 AP5F8q8z0
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深夜1時。 深夜恒例の友人とのスカイプミーティング。
親友のアマンダ(仮名)とその日あった出来事や悩み、果てはゴシップから
芸能人や職場の人間の悪口で1~2時間はあっと言う間に過ぎてしまう。
PCを開いて、テレビを見ながら、遅めのディナーか夜食代わりのポテチを頬張りつつ、
スカイプでお喋りするというのがいつもの私のお決まりのスタイル。
私の中でそんな時間の節約を兼ねた”~ながら行動”が流行っている。
そんな深夜のスカイプミーティングでの今日の議題はもちろん"掲示板に書き込みをするか否か"
アマンダからのアドバイスから結論に至るまでは早かった。
アマンダの結論はこうだ。「二頭追う者は、一頭も得ず」まさにその一言だった。
「充実した自由な週末」と「超イケメンのスポーツ選手との一途な恋愛」
私は一般的に使われる”天秤にかける”というのとは少し定義は違うが…
とにかく、そんな我が侭な理想と理想を天秤にかけて悩んでいた。
だけど一人の男を一途に愛せないとは言え、合法的な二股の末、本命を失うのも怖い。
私はやはり最低な女なのだろうか? 一生本当の恋愛というものには辿り着けない人間なのだろうか?
そもそも私は未だに”付き合う”と言うシステムのメリットが理解できないでいるのだ。
最初から「付き合おう」という言葉を出さなければ… 恋人という設定にならなければ…
他の誰かと2丁目でデートしようが 歌舞伎町のホテル街でセッスクしようが
何も責められる事などはない。付き合っているがゆえにその全てが「悪」となってしまうのだ。
世の中は、男も女も ホモセクシャルもレズビアンも 皆、口を揃えて
「付き合う」だの「彼氏」だの「彼女」だの… 恋人がいる人間は勝ち組でそうじゃなければ負け組み。
そんな構図が世界中のスタンダードな理論なのだ。
私はよく思う。"恋人"という世界標準のシステムに…なんの価値があるのだろう、と。
この世界には溢れるほど人が居て… そこら中に出逢いがひしめいているのに…。
どうして一人のパートナーとその人生の時間を束縛し合うのだろうか?
私の恋愛に対する欲望の天秤計は… 右と左を行き来し…当分の間、定まりそうにはなさそうだ…。