08/10/02 00:51:33
「五十歩逃げても百歩逃げても本質は同じ」ってのは、話をわかりやすくするためにそれが成り立つ例(逃げる事)を
孟子があえて選んだから正論に思えてしまうだけ。
すべてのケースで「差がいくらあっても本質は同じ」になることを証明できてるわけではない。
例えば、心拍数100と心拍数1は「心臓が打っている」と言う点ではどっちも同じだが、本質はまるで違う。
心拍数100は元気だが、心拍数1は死にかけ。こういうのを五十歩百歩とは普通言わないw
程度が大きく違えば、その本質の意味も違ってくるわけだ
よって
> つまり「インフレしている」ことに違いはないのである。
> 程度の差とはもちろん数字の差である。
とはならないw