08/09/24 01:22:33
>>364
はいはい屁理屈乙w
URLリンク(www2.odn.ne.jp)
熊日に「五十歩百歩」ということばが、このようなかたちで出ていました。
「五十歩百歩」といえば、「似たりよったりである」「少しの違いだけで大差のないこと」
という意味に使われることは、誰でも知っています。
ところで、五十歩と百歩とでは、歩数にして五十歩、倍数で二倍の違いがあります。
これは大きな差だと言えないでしょうか。
では何故、「似たりよったりである」「少しの違いだけで大差のないこと」を「五十歩百歩」というのでしょうか。
中国の戦国時代(BC403-BC221)、梁の恵王は、
自分は善政を施しているのに、自分の領地の人口が増えなくて、たいした善政もしていない隣国の人口が減らないのを嘆いて、
孟子にその理由を問いました。それに対して孟子は答えます。
「王は戦いがお好きなので、戦いで例えましょう。
戦いの最中に、戦場を放棄して五十歩逃げた者が、百歩逃げた者を笑ったとしたらどうでしょう」
王は答えていいます。
「それはだめだ。ただ百歩逃げたのではないだけで、五十歩でも、逃げたことには変わりはない」
恵王にそう言わせておいて孟子は、
「恵王がなさっている善政は、隣国がやっていることと、程度の差はあっても、本質的な違いはないのです」
と説きます。
この話から、「五十歩百歩」といえば、「程度の差はあっても、本質的な違いはないこと」
をいうようになり、転じて、「似たりよったりである」「少しの違いだけで大差のないこと」
という意味に使われるようになりました。
この意味をよーく考えな。数の問題じゃねーんだよww