08/08/13 23:14:48
『蝉』
蝉の話を聞いたのはいつだったかを綾波レイは思い出していた。
確か、数え切れないほど読み流してきた本の一つにたとえ話のように載っていたはずだ。
蝉は地上に出て七日間で寿命を迎える。
きっとその本は生きることの意味について語っていた。
だけどそれが心に響いた記憶は無い。
どうしてだろうと、綾波レイは思う。
自分だったら、きっとそれが心に響いたはずだった。
いつか無に還る運命と共にここにいるような自分なら。きっとそれに何かを思えたはずだった。
けれど綾波レイはその話をどこか遠いもののようにしか受け取れなかった。
―少しだけ苦しい
窓辺に置いたカップの中で水がぼんやりと光っている。
抱きすくめられていた。足裏のコンクリートは、最初ひんやりとしていたのに、いつのまにか体温で熱を持ち始めている。
蝉は日常のものだった。
部屋にいても、遠くの公園からの鳴き声がかすかに聞こえてくるものだった。
しかし、夕暮れも過ぎ去さった今、その姿を確かめることはできない。
空に溶けて行くような、あのざわめきは何処に行ったのだろう。