09/11/09 19:25:59 D6YagESP
上の文章の面白さは、Aだと思っていたら実はBだったという点だが、
これは恋愛という設定の話だから面白いのだということに注目してもらいたい。
恋愛というのは身体レベルの具体的な情報を必要とするものだし、目的であれ過程であれ、
いずれはそれについて考えざるを得ない
そこに直面したとき、想定していた身体と、実物の身体が、別のものであった場合、
ショックを受けるのは当然だろう
一方、下の文章の面白さは、56世紀人たちは、Aだと思ったものはAだと考えているわけだが、
こちらは会話という設定だから成り立つのだということに注目してもらいたい
会話というのは意味のやり取りだが(特にテキストサイトではそう)、彼らにとって「意味」とは
完璧に共有された概念ではないという前提に立っているがゆえに、一見脈絡を持つように見える会話が、
実は双方向的なコミュニケーションなどではなく、ただ単独的な実存が、外的なタイミングによって
内的な思考を深めるのに過ぎなくなっている。というディスコミュニケーションが、この文章の肝だ
納豆は上の文章の世界観に立ち、僕は下の文章の世界観に立っている。
「匿名の特定の彼」の存在を召還するために、日夜ラウンジという大鍋を描き回して呪文を唱える
大魔法使いには、洞穴の奥まで有益な情報を届けてくれる人がいなかったのだろう。
「匿名の特定の彼」を生み出す小さな匿名性とは、前提として具体的な情報が濃密に溜まった、
閉塞した環境が求められるのだ。
だが、いまや多重タスク時代に入ったネット・コミュニケーションに置いて、
そういった前提はキャンセルされることを避けられない。
この時代の変化について行けない納豆は、
保身のために旧来の環境が持続を求めるしかできず、不様な一人芝居に執着している。
現に納豆は自分が名無し潜伏をしてレスを書き、それに対して僕がリアクションを取るだろう、
という見通しを持ち、そしてそれこそ保守的な地盤が残っている証拠だと、鬼の首を取ったように
勝ち誇っているわけだが、その発想から完全にズレている。
彼がなにか持っているとすればそれは僕の首ではなく彼自身の恥だ。