09/12/10 18:48:31 UjwndTrL
金嬉老 事件概要
1968年2月20日、手形トラブルが高じて暴力団から借金返済を求められた金は借金返済を約束して静岡県清水市(現・静岡市清水区)のクラブで暴力団員と面会。
その場で暴力団員のうち2名をライフルで射殺したのち、翌日には同県榛原郡本川根町(現・榛原郡川根本町)寸又峡温泉の旅館で経営者・宿泊客ら13名を人質として88時間にわたり篭城した。
篭城の結果、犯人は報道関係者に変装した静岡県警察の捜査員によって取り押さえられ逮捕された。
事件の直接のきっかけは借金返済問題であったが、ずっと以前に目撃したと自称する警察官による在日韓国人・朝鮮人への蔑視発言について謝罪することを
人質解放条件として要求しそれ以外の要求がなかったため、差別問題と絡めて報道されるに至った。また韓国でも報道が行われた。韓国マスコミでは差別と戦った英雄という面もあるとして取り上げた。
差し入れたとされる看守が後に服毒自殺をしている。
1972年6月、死刑求刑に対し静岡地裁は無期懲役の判決を下す。1974年6月、東京高裁が控訴棄却。1975年11月4日、最高裁が上告棄却し無期懲役が確定。千葉刑務所で服役。
1999年9月に韓国に強制送還することを条件に70歳で仮出所。東京保護観察所を経て、韓国釜山に帰国させられた。
帰国後
韓国政府から助力を得、釜山にて新生活を始め結婚もした。だが2000年に講演会がきっかけで親密になった愛人の夫への殺人未遂と放火および監禁事件を引き起こした為、逮捕され服役した。
そのため、韓国での彼の人気は地に落ちたという。現在ではその愛人と一緒に生活している。
URLリンク(ja.wikipedia.org)
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