10/04/10 09:17:31 QI17Wsa90
>>641
例えば、親が子供に自分の夢を託すするのはよくある事だし
この場合、「自分が出来ない事をしてもらう代わりの存在」としての投影も多少は入ると思う
それで成功した場合に自分の事のように喜ぶのも当たり前の事で
「自分の投影対象」だからこそ、自分の事のように喜べるというのもあるだろう
だけど、「子供になりかわりたい」と思う人は普通いないんじゃないかな
同様に、贔屓のスポーツ選手がいる場合
その選手が勝った時、自分の事のように喜んだからといって
「その選手になりかわりたい」わけではないと思う
同じように、贔屓キャラを2次元で愛してあげる場合
その愛し方そのものには自分の嗜好が入るだろうし
中にはダイレクトに「自分がされて嬉しかったからこの子にも」という人もいるだろうが
例えそれが上記の親→子のように「自分が出来ない事をしてもらう代わりの存在」だったとしても
キャラそのものに自分がなりたいわけではないんじゃないかな
なんだろう…上手く言えないんだが
投影キャラに自分がなりたいというよりも
投影キャラが愛されるのを「眺めて喜ぶ」という感じで
腐女子がよく主張する「好きキャラ同士がいちゃいちゃするのを眺めて喜ぶ」というのは
この感情に入るんじゃないかと思うんだわ