10/04/06 01:21:31 MEN10sci0
本来の問題は、それとはまったく違う話の「同人における自己投影」なので
まずは話を「創作行為」に限定する
そしてここでは「同人における自己投影」を「なりかわり願望の具現化」と呼称させてもらう
さらに「無意識のなりかわり願望の具現化」「意識的ななりかわり願望の具現化」というものを
設定させてもらう
まず「意識的ななりかわり願望の具現化」は書き手が明確な意志を持って作成したり、
それを公言しているケースだからわかりやすくて問題ない、終了
一方「無意識のなりかわり願望の具現化」が難しい
無意識ということは当然書き手本人には「自覚ができない」わけだから
その作品が「無意識のなりかわり願望の具現化」なのか
「そもそもなりかわり願望の具現化ではない」のか、書き手にもわからない
なので「この作品はなりかわり願望の具現化ですね」と指摘されたら
否定するのではなく「わかりません」というのが本来は正しいんだろうね
もちろんこれで「なりかわり願望の具現化」である、ということが証明されるわけではない
証明責任は「なりかわり願望の具現化である」と指摘した者にあるわけだから
その者による証明がなされなければ、その時点での結論は「わからない」で決着する
「私にはわかる!」という主観のみでは証明にならない、客観的証明でないと駄目
と書いていて馬鹿らしくなってくるんだけど、同人者特に女性向け二次の中の一部の連中は
どうしてここまで「なりかわり願望の具現化」にこだわるんだろうねえ
公言されると萎えるという気持ちはまあわかるよ、二次は書き手よりキャラ萌えがメインだし
しかし無理矢理「無意識のなりかわり願望の具現化」なんてものをいちいち作り出して、
それを自分たちで勝手に指摘して勝手に萎えて叩いてるってのが心底意味不明
そうまで捏造してでも叩かなきゃいけないようなもんなの?と思ってしまうわ
しかもそういう連中は自分たちで作り出した「無意識のなりかわり願望の具現化」によって
自分たちの創作活動まで縛られちゃってるんだろうからね
お気の毒な人たちと言わざるを得ない