10/03/31 04:21:10 T9M8WQn60
>>618
>友達をつくるのも集団で生活するのも
人間は社会との合意の元に様々な権利を保護されてるけど、
集団生活を円滑にするというのは、そのシステムの中をいかに生き易く、
個人の生活を精神・肉体的に豊かにするためでもあるんじゃないかな。
それぞれを別々に扱うことはできないと思う。
>>619
確かに一つの理由だけで定義することは出来ない。
例えば、Aが眼鏡っこ萌え、Bがショタ萌えで考えてみるが。
性的倒錯は性欲・幼児期の体験・美意識・心の問題諸々から影響され、
内部で「眼鏡っこ萌え」や「ショタ萌え」に変質していくとする、
次の過程では受け(女性的存在)と攻め(男性的存在)のどちらかを選び、
作られた境遇においてその役割を演じさせ、物語と一体化させる。
そして対象と心理(部分)的に一体化することで精神の充足を得る、
恋愛劇が多いのは男性依存を断ち切った反動を、虚構に求めるからでは。
これは周りに愛され依存しようとする「甘え」でもあると思う。
どれにも該当しないのは、「仕事で」とか「読者に○○させたい」かな。