08/11/12 21:23:04 A4wfAOQLO
俺の母さんは、生まれつき両腕が不自由だった。
なので料理は基本的に父が作っていた。
でも遠足などで弁当がいる時は、母さんががんばって作ってくれていた。
でも、小学校6年の時の遠足で、見た目が悪い、母さんの弁当、を友達に見られるのが嫌でとうとう「弁当はコンビニで買っていくから、この弁当はいらない!!」と言ってしまった。
母さんはそんな馬鹿な俺に、ただ、うまく作れなくてごめんねとしか言わなかった・・・・。
時は過ぎ、小・中は給食だったのだが、高校になってからは給食はないのでいつも昼は購買のパンですませていた。しかし、高校2年になったある日、母さんが弁当を作ると言い出した。遠足の時に作ってくれたものとは味も見た目もよくなっていた。
不自由な手で、一生懸命作ってくれたのだ。
と、思ったのもつかの間。肺炎で入院したかと思うとぽっくり逝ってしまった。
弁当を作り始めてから3ヶ月しかたたぬうちに・・・。母さんが死んだ後、親父から聞いたのだが、どうやら母さんは俺のために、定食屋をやっている知り合いの所に一年間料理を習いに行っていたらしい。
そして後日、その定食屋に行ってみた。定食屋のおばちゃんと俺は直接のかかわりはないけど、やさしそうな人だった。
そして母がよく弁当に入れていたメニュー、ハンバーグ。それの定食を頼んだ。そして、それを口にしたとたん、ぼろぼろと涙がこぼれてきた。
たった3ヶ月しか食べられなかったけど、たしかに母さんのハンバーグの味にそっくりなのだ。腕がまともに動かせないのに、がんばって作ってくれた、あのハンバーグの味。
形は少し不細工だったけど、とてもおいしかったあのハンバーグの味。