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■日本の歴史は百済人が作った
日本の歴史を作ってきたのは倭人ではなく古代日本に渡来した百済人を含む渡来系氏族達である
幼かった日本(倭国)に皇室、仏教、言語、文化、律令に至るまで文明を伝え、倭人を指導し今日の日本を
築き上げてきたのはまぎれもなく現在の韓国人の先祖である百済人達である
倭人の王朝である卑弥呼の邪馬台国から大和王権に移る過渡期に朝鮮半島からたくさんの百済人、新羅人、高句麗人
などが日本列島に渡来する、彼らは北九州だけでなく奈良、但馬国や出雲地方にまで進出し有力豪族となり勢力を
拡大していく、そして6世紀前期に近江から北陸にかけての首長層を背景としたオホド王が大和王権の王となる
これが百済系の継体天皇である、渡来して大和王権を乗っ取っていた新羅系の応神天皇以降の王朝をこれまた
乗っ取った形で百済系天皇が大和朝廷を支配した
7世紀、聖徳太子の時代に百済系の豪族である蘇我氏が台頭し、かつての祖国である百済から日本に
仏教、先進技術、文化、仏像、須恵器などを伝え、当時まだ瓦一枚さえ作れなかった倭人を指導し
後進国であった日本を文明国へと発展させた
飛鳥寺、法隆寺、正倉院、興隆寺、たくさんの「止利様式」の仏像なども百済人技術者達が作り上げたものである
660年以降、百済滅亡後3000人余りの百済王家や官職、学者、文人など高い地位の百済人が日本に亡命する
彼らは朝廷の行政機関である「史於」(フヒト)と呼ばれる組織などで活躍し天皇側近の貴族となる
中臣鎌足(百済滅亡後渡来した百済系)が蘇我氏(3~5世紀にすでに渡来していた百済系)を滅ぼし藤原氏となり
朝廷を事実上支配した藤原不比等は平安時代に至る長い隆盛の基盤を作り上げた
ここで注目すべき点はどちらも新羅系天皇と百済系天皇の争いと、鎌足と蘇我氏の百済系同士の権力闘争
でありそこに日本人である倭人が関与してないのが日本史の最大特徴でもある
日本史でありながら日本人ではない外国人である百済人が歴史を作っているという点が滑稽であるがとても興味深い