09/05/08 23:13:36
梅雨の合間の強い陽射しに、去年サイゴンの街角ですれちがったアオザイの女性たちを思い出す。
シクロやバイクにまたがった彼女たちは、顔に色とりどりの布を纏っていた。
ベトナムでも、色白志向が強まっているという。
街に出ると、色白化粧品や健康飲料などについつい手が伸びてしまう、という人も多いはず。
いかに美の価値が相対化しようと、「色白は七難隠す」の神話は根深い。
皮膚の色の境界線(カラー・ライン)は、デュ・ボイス以来「人種主義」の防衛線だったが、
女という位置どり、その身体をめぐるセクシズムやフェティシズムにも、
白への憧憬、あるいはコンプレックスがある。
でも待てよ。それって一体どこからきたのか?
ということで身体、あるいは美をめぐる最近の著書をふり返ってみると、いくつか興味深いものがある。
まずは、栗山茂久・北澤一利編著『近代日本の身体感覚』。
この本は、身体と健康をめぐるさまざまな感覚が近代日本においてどのように形成されてきたのかを
多角的に分析し、丹念に論じたものだ。
冷え性、頭痛、過労、栄養ドリンク、鬱、ストレスをめぐる考察も興味深かったが、
なかでも、夏目漱石、谷崎潤一郎といった近代日本のエリートたる文学者たちが
西洋人の白い肌を目のあたりにし、それを「美しい」と感じ、
そしていかに自分の「黄色い」肌に深い身体的欲望と劣等感を抱いたのか、
その人種的ジレンマの系譜をたどった真嶋氏の論は、現代社会における白さへの憧憬と
コンプレックスを考える重要な手がかりを与えてくれる。
当時、人種問題は「身体的優劣」の問題、とくに「肌の色」をめぐる美醜の問題として解釈され、
それが近代日本の翳として抱え込まれていくことになるという