10/04/08 04:58:54
うむ。私は広義的な意味でだが、文学関係に少し携わっているものだが、
作者の井上は、柳生石舟斎を天下無双、いや最強をこえた先にある雲の上の存在として位置づけている。
ストーリーからもわかる。
自然との対話も大きなテーマであることながら、1つには石舟斎を常に最強として自問自答しながら成長してきた武蔵の物語でもある。
そしてやがて武蔵は天下無双とは?という難題に到達する。斬っても斬っても行き着く事が無い天下無双。
天下無双はあるのか、そこから先に何があるのかは、天下無双にならないとわからないのか。
石舟斎はそこに到達した人間として描かれている。
武蔵はまだ発展途上の人間というところで最後にその石舟斎がみた境地にたどり着くことを追い求めている
小次郎もそうだろう。
一刀斎もまた同じように同じ牙を持った虎(小次郎と武蔵含め)と自ら言ってたように、
最強、天下無双を追い求めている段階。その先に何があるのかまだみえていない。
なぜなら一刀斎は柳生にあった後の場面で「天下無双?はて(その先に)どこにいこうか?」とまだ道がみつけられていない。
井上はこういう言動で表現していてうまいと思った。
誰が石舟斎のたどり着いた最強をこえたその境地にいけるのか。はたして武蔵はたどり着けるのか。
日本古来から伝わる自然観、身体観を通して描くバガボンド。