10/02/09 05:45:20
>>33
だから。
江戸時代の時点ですでに何度も流派間で技や形式の交流が為されたりしてんの。
大名はいろんな流派の指南役を抱えてたろ?
開祖レベルでも純血一統では無くて、上泉信綱も陰流以外に七流系の剣術を学んでる。つまり新陰流もこれらの統合。
黎明期から既にそういう交ざり方をしてんの。
幕末の頃の北辰一刀流とかも、便宜上一刀流の名前は付いてるけど実際にはいろんな流派の技が混じったミックス流派なワケ。
さらに江戸期における武術全体の華僑化、各人の相違ある工夫によって全く別モンになってる。
で、明治に入った時に大日本武徳会ってのの奨励で、もう一回全国規模で各種の伝統武道の練達者に振起してまた新しく整頓しなおしたの。柔術とか弓術とかが柔道、弓道に分かれてったのがこの時期。
各流派が伝えてた剣術とか撃剣とかも全部まとめられて「剣道」になった。
で、次第に武徳会の発行する「剣道」の段位の方が権威が強くなっていって、各流派の目録よりもこっちのほうがメジャーになっていく。
戦後に武徳会は解散されるんだけど、再びこの剣道を主軸とした全日本剣道連盟や、それに準ずる剣道連盟が発足。
こうしてさらに競技化が進められ、現在の剣道の形になりました、と。
だから現在剣道の元は武徳会の「剣道」なんだよ。
それ以前に遡ろうとすると、一刀流の他にも神道流系、念流系、陰流系、東軍流系もそうだし二天一流系譜のものもある。
北辰一刀流てのも一刀流系の一派生形に過ぎないんだわさ。
東軍流は江戸時代ですでに全国区だし、小説で有名な示現流とかは神道流系、一刀流系以外にも親しまれていた流派は数多くあったよ。
そういう見方でさかのぼっていくと、伊藤一刀斎の興した一刀流はあくまで数多く分化してきた古流の中の一つに過ぎない
現在の旺盛で一刀流が主流で、剣道の元だ、なんて言う発言は、これらの歴史の流れを完全に理解していないと暴露したようなもんです。
そのまま伝えられてるわけでは無い。北辰一刀流には剣術以外に薙刀とかもあったわけだが、明治の尚武観興で分かれちゃってるわけだしね。