09/07/05 23:19:04
>>813
それで合ってるよ。
当時中国は色んな国に食い物にされてて国民は喘いでいたわけ。
国は情けないから頼れず、そして他国への不信感も募る中、人は宗教に走った。そこで台頭してきたのが義和団。
合言葉は「扶清滅洋」。勢力が大きくなるにつれて国民の溜まったナショナリズムが爆発して実力行使にでた。これが義和団の乱。
そして中国は何を気違ってか義和団が頼りになると勘違いして列強に宣戦布告しました。
オマケにドイツ人大使など複数名が殺されて自体は逼迫。列強は列をなして中国をボッコボコにしましたとさ。これが北清事変。
余談だけどこの時ロシアは事が終わったというのに満州から兵を引こうとしない。
このまま居座って朝鮮にまで手を出してきたらタマランと日本は不安を抱いていた。そして同様にロシアに中国朝鮮を思うようにさせるわけにもって思ってたイギリスがいた。
日英同盟の伏線がここに現れていたわけだな。
だいたいこんな感じれす