09/08/08 08:12:27 0
>>234
北条、上杉の同盟が成ったと?
比古も思いのほか世に疎いのう、ふっはっはっ!
謙信はいくさ馬鹿で調略というものを全く出来ぬ。
ゆえに成田氏長を初めとする上野、下野の小大名どもは日和見を続け
北条へついたり上杉へついたりを続けておるのじゃ。
そのような婚儀同盟は、あってないようなもの。それが乱世というものじゃ。
清十郎も腹が減ろう。腹が減れば飯を食う。だが時が経てばまた腹は減る。
北条と上杉の関係も、また同じ。
北条に追われた上杉憲政の手前、謙信も北条と戦いたくなくとも戦わねばならぬと思っておる。
謙信は信玄坊主と違い曲がったことが嫌いな正直者よ。
もう少し余のように臍が曲がっておれば、いま頃、謙信が天下を取っていたであろう。
信玄もそのことは知っておる。ゆえに余の娘が欲しいと言い出したのであろう。
>>236
ふん、天下一の臍曲がりの余の心までは読めぬか。
面白いことを教えてやろう。
朝倉義景は風流を愛し、和歌に心の憂いを託すおとこと聞いた。
和歌をすれば酒を飲む。二日酔いは四日酔いとなり
ついには中毒症状を呈しておるそうじゃ。
いかにすれば朝倉を倒せるか。そなたにわかるかの?
>>241
余も遊びは愛しておる。おぬしは如何なる遊びが好きかな?
余は義景とは違う。夜が明ければ愛馬をつかっての朝駆けよ。
>>242
ほほう、なにやら騒がしいのう。
しかし京の都からもようやく死臭が消え、おんな子供が笑って歌などを歌えるようになった。
嬉しきことよ。どれ、少しのぞいて行くかのう。