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邦画をいくら作っても日本の俳優、女優が西洋人に比べてあまりにもみすぼらしく、
スクリーンに映えないことから、日本は邦画よりもアニメ、マンガに力を入れるようになり、
日本人のみすぼらしい容姿、身体によって作品の優劣が付けられる心配の無い二次元の場に移行した。
そして、キャラクターに性淘汰の結果獲得した優れた容姿、身体を持つ白人の特徴を
ふんだんに取り入れることによりアニメ、マンガの作品の中では、
日本人のみすぼらしい容姿、身体の呪縛から逃れることができるようになってきた。
それから時代が過ぎ、このような経緯を知らない世代がこれらのアニメ、マンガを見て育ち、
製作者側にも入ってくるようになってきた。
しかし、世代のギャップで過去の邦画時代の日本人のみすぼらしい容姿、身体から逃れて
二次元作品を作っていった経緯は伝わらず、単に日本人離れした西洋人の優れた容姿、身体の
絵だけを表面的に上手く書くすべしか伝わらなかったことから、
アニメ、マンガの登場人物の本来のモデルが西洋人であるといった当たり前のことが認識できずに、
日本のアニメ、マンガのキャラクターは日本人であり、モデルとなっているのも日本人っといった
認識をしてしまっているのだろう。
まぁ教えてもらってないのだから知らないのは当たり前ともいえるが。
またアニメでは富野や宮崎がよくそのことを認識しており、 邦画では大島渚などがそうだ。
そして、こういった背景を知らない若い世代のアニメ製作者でヒット作に気をよくして、
邦画でもいけるんじゃないか?っと勘違いし、スクリーンに映えない日本人で映画を撮り、
失敗し、やはりアニメのようには行かないのかっと思い知らされたのが、エヴァの庵野。
日本人のみすぼらしい容姿、身体をよく知っている富野や宮崎ならこんな過ちはしなかっただろう。