09/01/15 00:21:49 0
電車男
本田透とか鶴見済とかは、人間の条件とでもいうものに挑戦してるといえよう。
まあ、超人というのも、素朴に考えればそういうものかもしれない。一人で、
森の中で動物たちと暮らすというのは、複数性(人間の条件)というのから外れてる。
意味や価値を一人で見出す。それまでの哲学には、意味も価値もなかった(「ニーテェと哲学」)。
本田透や鶴見済は、現実、虚構、身体(身体は、もう一つの、人間の条件であろう。)をめぐって、人間であることを
克服しようとした人といえよう。それぞれ、その時代のリミットをなす思考である。
鶴見済は、現実からいつでも(楽に?)離れられる方法を用意することで、現実を
対自的に見る(「完全自殺マニュアル」)。そして、そうして見たれた現実の苦しさを、クスリを用い、身体に訴えることで逃れ
ようとする(「人格改造マニュアル」)。本田透は、あまりに殺伐とした現実を前に、「自殺するくらいなら
引きこもれ」といい、虚構に立てこもる。身体的充足のための、彼女はバーチャルなもので足りる(「萌える男」)。