10/06/14 09:01:06 pBBHUgpc
いや、>>537はかなりいいところついていると思うよ。
「ぼくらの」原作の登場人物は作者の観念を代弁させた存在だと感じている。
例えば畑飼の切江に対する長広舌や彼の異様なまでの厚遇、本田家の思想は
もろに作者の観念を投影したものだと思う。
アニメじゃそれを矮小化することで、設定に手を加えずに上手くリアリティを
出している。矮小な人物にすることでかえって実在感をだせた。その意味では
作者の否定につながるだろう
しかし「ぼくらの」後半はそれを貫けば成功したはずなんだよ。前半の突き放した
描写をそのまま続けておき、もうひとつの森田の好きな要素である人情を入れなければ
よかった。それがタモツという決定的に崩壊させる異分子を入れてしまったために
後半はあれだけ迷走することになってしまった。ここだけは森田氏は悔いるべきだ。
しかし最終回で宇白の義父に言わせた台詞は評価できると思う。この台詞こそ完全な
SFファンタジー世界を「ただそこにあるもの」として現実に落とし込んだ台詞じゃないか。
ジアースのゲームと宇白が命を懸けて戦うのが、義父の理想を実現するために
やり方を問わず戦うのと一体になっている。根本的に戦いの本質は変わらないと
示唆している。ジアースのゲームの周囲を巡っただけで、彼らの現実世界は
変わっていない。子供たちが死んでも現実世界は続いていくということがカナを
語り部にすることで表現されたと思う。カナはゲームの周囲を巡っただけで、
ゲームの語り部として現実世界に存在する役割。誰もがゲームの周囲を巡りながら
ゲームの真実に触れることなく死に、カナだけがゲームの語り部として残される
のは結構気に入っている。
長文になったが、もっと森田は突き詰めるべきだったと「ぼくらの」に関して
そう思う。突き放すことでリアリティをもたらす人物描写とあえてシステムの本質に
ふれないことで現実世界を浮き彫りにする作劇の萌芽はあったと思う。(鬼頭も
ジアースの本質に触れていないが、あくまでも個人の内面に徹しており、現実
世界の描写は重視されていない)
ただもっと冷静に語れる場がここしかないというのがな…たとえブログの発言
がああにしろ、もっと森田アニメに関して冷静に語れる場所がほしい。
七月にまた「猫」やるから「ぼくらの」しか知らない新参がどんな反応しめすか
実況が楽しみなんだけどね。