08/03/13 20:46:43 fj49gMT1
>>232
「さかしらにわずかな不運を見せびらかすな。 その右腕 切り落としてやろう。」
エボシのこの言葉が象徴するように、アシタカの中では
呪い殺されることに覚悟はできているけれども
じゃぁ、それまでどうやって生きるのかは、まだ何もなかったんだろう。
サンを救うという点を見ても、誰に頼まれたわけでもないのに
自己の正義として行動してたけど、実はどこか自暴自棄のやけっぱちなところがあったように思う。
「私は自分でここへ来た。 自分の足でここを出ていく。」
この台詞にも誰の言葉も一切受け入れない閉鎖的なアシタカが表れている。
これは言いかえれば、俺が死のうがお前たちに関係ないと言ってるようなもの。
そこには、死はすぐに受け入れても、生をまっとうする姿はまったく見当たらない。
そんな生きながら死んでるようなアシタカをシシ神は生かし、サンもヤックルも生きろ生きろと介抱した。
そしてあのシーン。
呪いは残ったけれども、アシタカの中ではじめて、限られた生と必ず訪れる死がひとつにつながり
生きる意味を見出せた瞬間となって自然と涙があふれた。
と、おいらは勝手に解釈してます。
長文すまん