09/06/30 17:15:48 SCi8WHgK
>>451
「染谷先輩」
月明かりの下、京太郎は広い屋敷の廊下をあるくマコを見つける。そこは中庭に続く渡り廊下で、
太鼓橋のようにややループがかかった細い橋の上だった。
「京太郎か。みんなはどうしたん?」
「風呂です。先輩は、何か知っているんじゃないですか?」
それは誰もが言い出せず、同時に誰もが避けていた話題だった。つねに事件の中心にいるはず
の彼女は、しかし殺害現場にはあまり近寄らずに話題として上ることも避けている。
「わしは─知っとるんじゃろうな。まだ確信はないけど・・・こんなことになるなら来るんじゃなかった」
「そんな。僕らは別に」
気にしていないというのは嘘だった。
「ここの家には本家が二つある。長野の染谷がひとつ、それからコウジモトの染谷がひとつ。両方
とも本家じゃけど、コウジモトは違うんよ。コウジモトにはな―」
─神様が、おるんよ。
マコの表情は陰になってうまく伺えない。京太郎はそこに得体の知れない人物がいるかのような
幻想を見た。それはいままで知っている学校の先輩とはまるで別人だった。
「神様って・・・」
「荒神、言うのは酷う恐ろしい神様のこと。祀る人間がおらんと荒れて、怒りんさる。コウジモトの本家は
その神様を祀る巫女の家なんよ」
「巫女―ですか」
「そう。私も子供のころの一時期はここに預けられてサイイン、言うお役目になったんよ。親元を離れる
わけじゃけん、辛かったけどコウジモトの本家の姉さんに可愛がってもろうて、今から思えば楽しかった。
当時は麻雀も内地から人がわざわざやりにくるほど人気で、サイインはその相手をするのが役目じゃった
んよ。子供の頃のわたしは─」
なんも知らんかった。
マコの声は小さく、細く、過ぎ去った時間の長さをたどるように辺りに流れた。
「お姉さんがいたんですか?」
「ここの娘さんがおってね。私と同じ年。今はおらんけど、みんなでよう遊んだわ。わらべ歌なんか歌って、
あんなことがあるまではずっとこうしていられると思っとった」
「あんなこと?」「京太郎!」
ぐい、とマコは京太郎に近づき、顔をよせて小さく耳打ちした。
「あんたらは逃げんさい。ボートが隠してあるけん。それで─」
「な、何言ってるんすか!? できるわけないじゃないですか!」
「じゃけど、ここにおったら駄目よ!」
「逃げません!」
「京太郎!」
「逃げないで、一緒に帰りましょう・・・俺たちはまだやらなきゃいけないことがあるでしょう」
風が吹いた。
潮のかおりを少しはらんだ香りがだたよう。
中庭の木々がさらさらと音をたて、月明かりのなかで二人は無言で見詰め合っていた。
「わしにだってやることがある。みんなには見て欲しゅうないんよ。あんた─」
死んでしまうよ。
マコはそう言って廊下をあとにした。