09/10/16 04:16:36 vpc+9Skz
>>480
一般的には違う。長いぞw
デジタルの主張とは定量的なデータで数値化された効率や%が証明されている
戦術について主張していて、数値によって確定された領域を増やしていくことで
麻雀が強くなるというものだった。そこには読みや癖はもちろん、
数値化できない全ての戦術が除外されていた。
デジタル派としてネットで超有名になり戦術本を出版した某氏の主張では
リーチに対しての安全度を測るとき、たとえば序盤に4~6が多く
後から1289字牌が手出しで切られる「チートイぽいリーチ」であっても
数値化できない○○ぽいの部分を完全に否定し、どんなリーチに対しても
安全度は字牌>数牌だという主張だった。チートイぽくてもピンフの事もあるし
逆の場合もある。その場の雰囲気では、役の出現率や牌の安全度を
覆す要因にならないと。しかし現在実際に勝っている人は、
相手の捨て牌を読み、手出し牌から手牌を推測する打ち手が成績を残している
ことから、洞察力が高ければ捨て牌読みは十分に機能することがわかっている。
逆に目新しいデータもあった。裏スジの危険度、アンコスジの危険度等
のデータは、押し引きを測る上で重要な指針になった。
こういうものが旧デジタル派。読み、切り順、打ち癖、相手の挙動
など不確定なものを徹底的に省こうという主旨だった。
本来数値化不能な不確定情報はアナログ的思考とされ
デジタルでもオカルトでもない分類だった。
しかし昨今デジタル派は、自らの存在意義をかけたのかどうかは知らないが
元々否定してきたアナログ戦術をデジタルだと言いはじめた。
デジタルとは、データか数値に基づかない一切の不確定情報を
省く戦術というのが売りだったが、自ら信念を曲げて
「効果が認められる戦術は全てデジタルである」
と意味不明なことを言い出す輩もいた。
そんなこんなでデジタル派は、なんでもデジタル
オカルト的戦術でも効果が証明されたらデジタル
というまるで不毛な議論になり、以後デジアナオカ論争は放置されている。