09/01/18 03:27:09 O
コマ劇場が出来て、
尾津組がメインで縄張りを持った。
そこには凶器を持って出店商品を強奪し、
賭博に入り込み現金を奪うチョーセン愚連隊が300~1000人単位でいた。
連日、路地裏には死体がゴロゴロしていた。
尾津組は不当な価格吊り上げの闇市を阻止し、適正価格を儲け、
(河川敷ではチョーセン人が盗品を不当価格で押し売り)
また戦時中に残った武器などの鉄を溶かしてフライパンや鍋などを造り庶民の生活を支えた。
江戸時代、明治時代肌の歴としたヤクザの親分である。
庶民は親分さん、親分さんと慕い、その人望もあって店は上がりを進んで上納、
尾津は国の大臣が借り入れを依頼するほどのお金を手にしていた。
GHQは敗戦国民が金と権力を握る事を恐れ、徹底的に闇市、露店を取締り、
特に尾津の締め付けに躍起になった。これはGHQ解散した後も続いた。
庶民の娯楽が無い、と飲食店や賭場を次々開かせ、
一部同じ東口だった和田組と、西口安田組、しかしコマ劇場周辺歌舞伎町はやはり尾津組が仕切った。