09/02/16 18:05:28
「風の谷のナウシカ」DVDのコメンタリーに出演したエヴァンゲリオン監督の庵野秀明によると、
「母をたずねて三千里」を製作していた頃の宮崎駿の仕事量は、一週間に、
・絵コンテ
・レイアウト全部
・原画 半パート
・動画400枚
をやっていたという。
2005年に「日本芸能実演家団体協議会」がアニメーターの実態について調査した資料によると
アニメーターの仕事量は月/平均
・原画家は50カット
・動画家は500枚
「母をたずねて三千里」は1976年に放送された作品なので、現在のアニメーターとは絵の密度の違いなどから単純には比較できないが、
そのことを踏まえても宮崎駿の仕事量のすごさがわかると思う。
尚、「母をたずねて三千里」のキャラクターデザインをした小田部洋一によると、当時の宮崎駿はそのバイタリティから「人間マシーン」と呼ばれていたそうだ。