14/09/19 11:52:40.61 zsJ0aITc
スレのURL】 スレリンク(psy板)
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更にポイントを挙げれば、
①「崇拝」という語の、効験無し敬意のみの用法は現代的なもので、
当時は、明らかにソレが期待されたものかもしれない
ということや
②或る人物の行為が、「崇拝」という語を付すにふさわしいかどうか
などがある。
②は、まさに、現代人(学者研究者、ファン、マニア、系譜に連なる者etc.etc.)による
過去の人物の行為を叙述する際の、まさに「評価、解釈」の相違(・・・語の使用法)であり、
今回の発端はココだろう。
そして、敷衍して興味深い点は①であり、
よく、釈尊は現実的であったと言われるが、
それは①のように現代的語義を投影してしまっていないか?という慎重さが忘れられ易い
ということでもある。