14/09/19 11:18:44.01 zsJ0aITc
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>>831
だね。
単に語義の定義の幅の違いが、そのまま見解・立場の違いになってるだけで、
呪術的効験の結果・効果の事象的有無とは別問題かね・・。
そこを一緒にするのは、このスレ的には雑過ぎでしょ。
「崇拝する」 というのは、イコール「呪術的効果の期待」なんだろうか?
たとえば、駆け出しのパティシェが、見習い中の板前が、
世界指折りのシェフや親方を「崇拝している」と言うとき、
彼らの道具や持ち物を手に入れて「崇拝する」とき、
彼ら見習いは、何か呪術的現世利益を期待しているだろうか?
魔法のように、自分の技術が上がる、同じ腕を発揮できる、と期待しているだろうか?
(勿論、そうなったらいいな、という意味での期待はあるにせよ・・)
特に、こと「舎利」に関しては奇瑞の有無は重要だし、各地各寺各宗派に伝わる「舎利講式」
等は、(100%信じてはいなかったとしても、その儀式の構図上)奇瑞の存在前提ではあるけれど・・。