前川前次官もびっくり!? 官僚マニア垂涎の『月刊官界』at LIVEPLUS
前川前次官もびっくり!? 官僚マニア垂涎の『月刊官界』 - 暇つぶし2ch1:きつねうどん ★
17/06/05 16:48:41.79 CAP_USER.net
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 学生時代は東大の寮でカビを食い、就職後も身のまわりに無頓着で同じ靴下を一ヶ月履きつづけた―。
 かつて、このような官僚たちのどうでもいいエピソードを満載した雑誌があった。1975年11月から2005年2月にかけて刊行された『月刊官界』がそれである。
めくっても、めくっても、ひたすらスーツ姿の中高年男性ばかり
 名物コーナーの「官界人脈地理」では、中央省庁の幹部が、顔写真、学歴、採用年次、性格、素行、趣味などとともに詳しく紹介された。そこに花(?)を添えたのが上掲のごときエピソードだった。
 いわく、キャバレー通いで課内の研究会予算を赤字にした。いわく、皇居一周を27分で走破した。いわく、ゴルフでホールインワンを2回達成した。いわく、演歌を700曲、軍歌を150曲憶えていた―。
 どうでもいい話ではあるものの、それぞれの人柄がよく伝わってくる。
 同誌には、ほかにも、部局、審議会、労組、サークル、記者クラブ、はては天下り先の紹介コーナーまであったが、きわめつきはやはりグラビアのコーナーだろう。
「霞が関のスーパーエリートたち」などと銘打って、各省庁の事務次官、官房長、審議官、官房三課長などの全身写真が延々と巻頭を飾ったのである。めくっても、めくっても、ひたすらスーツ姿の中高年男性ばかり。
 事務室での写真だけではなく、なかには、通勤途中の写真や朝の体操中の写真まである。さすがにカラーではないが、こんなに脂っこいグラビアもそうそうない。
『月刊官界』には「官界人脈地理」の地方版というべき「地方自治体人脈図」というコーナーもあって、県庁や政令市の幹部の動静まで取り上げられた。
 官僚の動静は今日でも雑誌などで記事になるとはいえ、ここまでの頻度と精度で追求したものはほかに見当たらない。まさに官僚マニア垂涎の雑誌である。
前川喜平だけじゃない。『月刊官界』で見る異色の文部官僚たち
 こうした特殊な雑誌なので、『月刊官界』には今日ではお目にかかれないエピソードも多い。
 試みに、前川喜平前事務次官の告発などでなにかと話題の文部省(2001年以降は文部科学省)の記事を中心にその内容を紹介してみよう。
 本稿の冒頭で引いた不潔なエピソードの持ち主も、じつはとある文部官僚。その言動から、「省内随一のサムライ」とも「ヨゴレ」とも呼ばれた。
 課長時代には、酔っ払って局長の背広を着込み、その財布から麻雀の負けを支出。それを指摘されるや、「局長にしては中身が少ない」と言い放ったという。
 お金のやり取りが発生する麻雀とは……と疑問も浮かばないではないが、当時はとくに問題にもならなかったようだ。おおらかな時代である。なお、あまり名誉な話ではないので名前は伏せるが、この人物はのちに社会教育局長に就任した。
「教育勅語」の再評価という「功績」も残した“鬼の内藤”
 こうした奇行や迷言はあれ、文部官僚は良くも悪くも保守的で、政治的に目立つ行動はあまり取らないといわれる。そのため、例外的な人物は際立つ。内藤誉三郎(たかさぶろう・1912-1986年)はそのひとりだ。
 内藤は、戦前に高等文官試験をへて正式採用された文部官僚。東京文理科大学英文科の出身で傍流だったが、太平洋戦争の敗戦後にその英語力を活かしてGHQとの折衝にあたり「文部省の外交官」として頭角を現した。
 内藤は省内で白眼視されるほど口が悪く、態度が横柄で、「課長級で、大臣、次官に対等の言葉をしゃべれるのは内藤くらい」といわれた。
 こうした性格は、かえって日教組対策で威力を発揮した。1950年代後半から1960年代前半にかけて初等中等教育局長、事務次官を歴任し、力技で日教組を押さえ込んで、勤務評定の導入、道徳の時間の特設、学力テストの実施などを行ったのである。
 その活躍から、内藤は省内で「連戦連勝の常勝将軍」と讃えられ、日教組から「タカ三郎」「鬼の内藤」などと恐れられた。退官後、内藤は自民党の参議院議員に転身し、文部大臣にも就任した。「教育勅語」の再評価も、かれの「功績」のひとつである。


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