【海軍乙事件】 旧日本軍の海軍司令部が捕虜となり最高機密が米国へ 事件は不問にat LIVEPLUS
【海軍乙事件】 旧日本軍の海軍司令部が捕虜となり最高機密が米国へ 事件は不問に - 暇つぶし2ch1:Ψ
16/05/05 14:04:40.61 038rTRlC.net
ウィキペディア 海軍乙事件(かいぐんおつじけん)より引用↓
連合艦隊司令部は、米軍がパラオに上陸してくると判断。3月31日夕刻、
ミンダナオ島のダバオへ飛行艇(二式大艇)で移動を図ったが、途中で低気圧に遭遇し、
古賀峯一海軍大将が乗っていた一番機(機長:難波正忠中尉)が行方不明となった。
二番機はセブ島沖に不時着し、搭乗していた連合艦隊参謀長福留繁中将以下の
連合艦隊司令部要員3名(他、山本祐二作戦参謀、山形掌通信長)を含む9名は泳いで上陸したが、
ゲリラの捕虜となり、1944年(昭和19年)3月8日に作成されたばかりの新Z号作戦計画書、
司令部用信号書、暗号書といった数々の最重要軍事機密を奪われた。
作戦計画書等の機密文書はのちにゲリラからアメリカ軍の手に渡り、
ブリスベーン郊外の連合国軍翻訳通訳部で、
アメリカ陸軍情報部(Military Intelligence Service, MIS)の要員によって翻訳された。
戦陣訓に見られるように、当時の日本では敵の捕虜となる事をこの上ない恥としており、
福留繁中将がゲリラに捕縛された事を敵の捕虜になったとみなすかどうかが問題となった。
戦時は捕虜にならなかったという見地で不問になった。 福留は海軍上層部の擁護もあり、
軍法会議にかけられる事も、予備役に退かされる事もなく、第二航空艦隊司令長官に着任

↑逃げ回った挙句に捕虜となり、最重要軍事機密を奪われた日本史上最大級の不祥事。
にもかかわらず大本営は事件を無かったことにし、当事者幹部の責任は問わず
逆に昇進させ、作戦計画や暗号はそのまま使用された。
圧巻なのは米国で、機密書類を複写してコッソリ戻しておく念の入れようだった。


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