15/02/18 06:17:59.46 9+bmPytn0
>>1
織田信長は、ヨーロッパ宣教師から送られた「地球儀」を目の前にして、
「この世界を我が物にする」と語ったと言われているが、
実は、この信長の野望は、当時の織田軍の銃を中心とした圧倒的戦力により可能であったのだ。
すでにこの時、ヨーロッパ全土の銃の数より、日本1国が所有する銃の数の方が多かったと言われてるが、
それに加え、信長はその銃による戦術も、当時のヨーロッパ諸国より数世紀以上、先を奔ハシっていた。
この男が編み出したと言われる銃の連続斉射(三段撃ち)と散開戦法(銃兵が身を隠しながら展開して戦う)は、ほぼ無敵であった。
※なお、この時代より数百年後のアメリカ独立戦争においても、まだ、その銃による戦い方は、
銃を構えた歩兵が横一列に並んで、身を敵にさらしてゆっくりと前進して行くというものであった。
おそらく、秀吉は、時に応じて信長から「世界はもう日本の敵ではない」ということをシッカリと頭に植え込まれていたに違いない。