04/10/22 03:04:40
娘が小学生の頃、同級生に中国人の女の子がいた。日本語がまあまあできたみたい
だが、友達を作るのが難しかったらしく、娘と遊んでいるときでも「ごめんね、ご
めんね」というのが口癖だった。両親は近くの工場で働いていたが、住まいはその
工場の敷地内にある粗末な住宅だった。うちにちょくちょく遊びに来ていたが、一
度かみさんがお昼に味噌汁や簡単な食事を作って出したら、ものすごく珍しがって
食べたそうだ。恐らく日本の家庭料理をまだ一度も食べたことがなかったらしい。
携帯電話で良くうちの娘に「一緒に遊ぼ」って電話がかかって来たが、うちの娘は
習い事が多くて断ることが多かった。
ある日家族4人で長野県の善光寺へ行のに、その子も誘おうという話あったが、う
ちの母も一緒に行くことになって結局誘う事はできなかった。道中、うちの携帯電
話にその子から例によって「一緒に遊ぼ」って電話がかかってきたが、何か複雑な
思いがした。しばらくしてその家族は山梨県の方へ引っ越して行った。あれから何
年も経ってしまい今ではその子も中学生。善光寺へ連れていってあげられなかった
事が今でも心残りです。