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1984年のことである。私は黒澤明監督の『乱』の衣装を中心に『黒澤映画の美術』という写真集を作っていた。
その関係で時々撮影中の監督を尋ねたり、御殿場の別荘にお邪魔をしていた。
そんなある日、当時勤めていた学研の古岡秀人会長から呼び出しを受けた。
「キミは黒澤明監督と親しくさせていただいているようだが、監督に頼んで欲しいことがある。
次回作に宮沢賢治の『風の又三郎』を撮ってくれるように頼んでもらえまいか。制作費は学研が出す」
ということであった。
まだ『乱』の撮影中であり、次回作の相談ができるのか不安であったが、食事にお誘いを受けた時思い切ってその話を切り出した。
どうすればOKをしてくれるのか、考えた末に”殺し文句”を思いついていた。
「監督、日本の子供たちが映画を監督の作品から見始めるというのはステキだと思いませんか?」
泥魚亭好日記 〈美しさを楽しみ夢を育てる〉:2006年08月
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