07/02/26 23:02:32 w+NKEI5Q
1936年2月26日、陸軍の青年将校21人が歩兵第一連隊、
(以下5行略)
これが、あの有名な雪の2・26事件である。
それからわずか63日後に、日本のプロ野球第1戦である
名古屋対大東京戦が甲子園球場で行われている。
今思うと、当時は不思議な時代だった。
あの雪の2・26事件から、ちょうど71年経った2007年2月26日、
日本のプロ野球界を揺るがす出来事が起きた。
中日ドラゴンズが、入団テストを受けていた中村紀洋三塁手(近鉄、ドジャース、オリックス)を
育成枠での採用することを発表したのである。背番号は205番、年俸は400万円である。
何故、中村紀洋ほどの男が中日の育成選手となったのか。
これには、非常に複雑な事情があった。
2007年1月に中村はオリックスと契約交渉が決裂し、自由契約扱いになっていたのである。
交渉当初、オリックス側の提示した条件は、
・来季の年俸は今季年俸2億円から40%ダウンの8000万円
・手首の怪我は公傷としては一切認めない
この2つである。
これに対して、中村側の主張は次のようなものである。
・40%の減俸は野球協約違反である
・手首の怪我に関しては公傷を認めて欲しい
また、このほかにも自分自身に対して「中村紀洋というブランドを認めて欲しい」という
なんともよく分からない要求もしていた。
ブランド料とは、恐らく球場への観客動員数に貢献した数字を
もっと評価して欲しいということなのだろう。
結論から言えば、球団は中村の要求を全て拒否した。
そして、いつまでたっても平行線を辿る交渉に球団は面倒くさくなった。
中村の自由契約を決めたのである。
自由契約となったことを発表する記者会見の席での発言に、関係者は絶句した。
絶句したというより、呆れたといった方が正しいだろう。
代理人の茂木立仁弁護士(39)が横にいるのにもかかわらず、
「自分が交渉に行けば良かった」と言い放ったのである。
これを聞いて、多くのプロ野球ファンが呆れてしまった。
「中村は、代理人制度を全く理解していないじゃないか。」
「しかも、自分のために骨を追ってくれた人の横で言うことかよ。
いくらなんでも、あの態度はないだろう。」
思えば、茂木立仁弁護士も災難だった。
「ブランド料」などというよく分からない材料で交渉に行かされた挙句、
交渉が失敗に終わると「自分で行けば良かった」などとカメラの前で言われるのだから。
日本で、プロ野球の代理人ほど割に合わない商売もないと思う。
中村はオリックスと契約がこじれた反省から茂木立仁弁護士との代理人契約を
打ち切ったというが、これはあまりにも身勝手だと思う。
中日ドラゴンズ入団が決まった今、中村は茂木立仁弁護士に
最高級の名古屋コーチン1kgを持っていっても罰は当たらないだろう。