06/04/24 16:58:17 0iiDPy/U
>>13
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東北福祉大に進学し3年生になった佐々木は、
88年6月に開催された全日本大学選手権の準々決勝の関東学院戦に先発した、
だがストレートを狙い打たれた佐々木は3回途中でKOされた。
このままでは通用しないと考えた佐々木は決め球修得を決意する。
そんな時に佐々木のワンバウンドするカーブを見た知人が
「握力が強すぎて、ボールをひねりすぎている」と指摘した、
この一言を聞いた伊藤監督はひらめいた、
「80キロを越す握力を生かす変化球は・・・」、
のちに佐々木の代名詞ともなるフォークボールは誕生した。