08/03/21 17:36:02 pv0GKj6Z
1989年8月、開幕から首位独走するオリックスを、とうとう近鉄が
射程距離に捕らえた。同じ頃、低迷続きの西武がようやく勝率5割に届く。
他チームならノーマークだったろうが、近鉄ファンはオリックスとの首位
攻防を見ながら、すでに西武の影に脅えていた。
当時の主将石毛宏典がテレビインタビューで「ようしいけるぞ」とい
う意味のことを言うのを見て「やばいな」と思った。それから間もなく、
近鉄がオリックスから首位の座を奪った日、オリックスに黒星を付けてく
れたのは西武だった。首位を喜びながらも、どこか複雑だったのを良く覚
えている。
9月、とうとう西武が首位に立ったとき、「ああ今年もだめか…」と落
胆した。それぐらい当時の西武には威圧感があった。
あまりにも語り尽くされた場面だが、10月の西武球場でのダブル連勝
は、信じられないモノを見た気持ちだった。近鉄ファンの自分が「まさか
あの西武が…」と感じたほどだ。
敗戦処理のような登板でめった打ちされ放心状態の工藤、試合後悔しそ
うにグランドに一礼して、一塁側ダッグアウトを去った清原の姿が印象的
だった。
今思い出しても、西武と近鉄の闘いは熱い。日程表と天気予報とをにら
めっこしながら、一戦目は郭と阿波野、二戦目は渡辺と山崎…てな感じで
何日も前から先発予想して、わくわくしたり不安になったりしていた。