07/01/21 23:11:10 vJWFrBku
「メイキング・オブ~」と同じこと語ってるね。ディックはナチのSSを念頭に、
生物学的には人間でありながら、非人間的な行為を行ううちに本当に人間性を失ってしまうことを
テーマに原作で描いた。ブレードランナーであるデッカードは、レプリの処分と言う非人間的な行為を
続けていくうちに自分の人間性に疑いを持ち、自分はレプリカントではないかというパラノイアに
冒されるわけだ。つまり原作のテーマを描くならデッカードは人間でなければならない。
そのテーマを汲んだ脚本家が、自分の人間性を疑うデッカードに、比ゆ的な意味で「バッティと
俺は兄弟だったんだ」と言わせた(最終稿ではない)脚本を読んだスコット監督が文字通りの意味に解釈して、
デッカードがレプリカントであると言う前提で映画を撮影した。しかしフィルム・ノアール風に各所に散りばめた
謎解きのための手掛かり(ユニコーンとか)を製作者が理解できず、試写会での不評を理由に修正を求め、
彼が人間であると言う前提のナレーションまで入れさせて最初の劇場公開版は完成した。
だがそれは監督の思い描いた作品ではないから、後に「ディレクターズ・カット」と言う形で
デッカード=レプリカント?を最終的謎解きとするフューチャー・ノアール作品が日の目を
見たわけだね。
ちなみに公開を待たずに急逝したディックは、監督との対面で映画と小説のテーマが違うことを確認した上で、
「公開が待ちきれない」とコメントしたと伝えられるので、スコット監督の解釈を認めている。