三島由紀夫at CAFE50
三島由紀夫 - 暇つぶし2ch112:名無しさん@お腹いっぱい。
08/05/09 12:29:02 ZVkwwl8U
>>107>>111
当時の資料を見ましたが、かなりマスコミのヘリで三島由紀夫の声がかき消されたとありますよ
それと、あなた言ってることは矛盾してますよ
内容が聞こえたか、聞こえなかったかどっちなんでしょうか?

> その直後、バルコニーで 下に居る500-600人には聴こえない声で演説して
> どこにも記録は無いが現場に居た俺の耳にはしっかり聞こえたからな。
> そんな事は無い。静謐だった。


それから三島由紀夫は自衛隊で体験入隊してますから、自衛隊員が三島を知らないことはないと思います
その現場にいた自衛隊員は、留守番兵や雑用係だったらしいから、三島を知らなかったのかもしれませんが…
ちなみに、実践部隊の自衛隊員は、訓練中でいなかったそうですよ
森田必勝たちがそこまで調べなかったので、ひどいヤジは誤算だったでしょうね

113:名無しさん@お腹いっぱい。
08/05/10 03:47:22 MtD/rdit
>当時の資料を見ましたが、かなりマスコミのヘリで三島由紀夫の声がかき消されたとありますよ

うーん、静謐は言い過ぎだったろう。謝る。時折の妨害はあった筈だ。
何機位のヘリが正午の三島の檄演説時 上空に居て 演説を妨害したか迄は
詳しく覚えていないが、数機だった記憶。週間読売のグラビアには 空撮写真があるので
読売ヘリはまず間違いないが…。

バルコニーと広場との距離はその写真等を観れば判るかも知れないが
「真下」で発言者の言葉に集中していれば、なんとか聞き取れる距離だと思う。
更に、檄文を参照しながら、意図を察知して耳を傾ければ十分聞き取れただろう。
しかし侵入(闖入)者が誰とも判らず、緊急集合掛けられて整隊したばかりの隊員達に
静聴を求めるのは、ヘリ飛行音の妨害以前に論外だろう。

一方、楯の会の制服で着刀し演説する姿を観て 三島と確認した上で
檄内容を確聴した上で、野次を飛ばした隊員も当然中には居たんだろう。











114:名無しさん@お腹いっぱい。
08/05/13 11:49:46 wNadUPwx
徳岡孝夫氏は市ヶ谷の現場に呼ばれて
バルコニー下から演説を直接聴いていたわけですが、
著書『五衰の人』では、ヘリ等の騒音で聴こえなかったというのは誤りで、
聴く心さえあれば真摯に耳を傾けることができたと明言しています。
現に徳岡氏の取材メモは演説内容をほぼ網羅していました。

演説の録音を今聴くと、「去年の10.21に何が起こったか!」という
自衛隊員への三島の質問に対し「銀ブラだぁ!銀ブラ!」(と、私には聞こえた)
と大声で答えて周囲の笑いを誘っている場面もあります。

確か『行動学入門』だったと思いますが、その「あとがき」で、
ある電車の中の週刊誌の吊り広告に三島が
ノーベル文学賞候補に挙がっている事を報じる記事を見ていた複数の学生が、
「三島がノーベル賞を獲ったら、今度は何を『する』だろうか?」といって議論を交わしているのを見て、
「何を『書く』だろうか?」という疑問が真っ先に起こらないところに三島のスター性がある、
といったことを奥野健男氏が書いていたように記憶しますが、
市ヶ谷台での自衛隊員の反応も、この学生の反応と大して違わなかったはずですし、
おそらく「また三島が変なことをやっている」という程度の認識しかなかったに違いありません。



115:名無しさん@お腹いっぱい。
08/05/13 12:33:44 Vv5WxXGa
山内(元自衛隊員、普通科教導連隊元助教)は、あの日、市ヶ谷のバルコニーで
「諸君は武士だろう!」と絶叫の響きをにじませながら訴える三島の声をかき消すように、嘲笑や罵声を浴びせた隊員たちにむしろ
「腹が立ち」、「平岡先生を悪者にしてはいけないということしか頭に浮かばなかった」という。
三島への尊敬の念が強まることはあれ薄まることはなかったのである。

そんな山内も、終生先生との思い出を忘れない、と書きとめたノートのなかで、
〈私は先生に会う以前、三島由紀夫とはつまらぬ小説家であろうと思っていた〉と明かしている。

杉山隆男
「兵士になれなかった三島由紀夫」より

116:名無しさん@お腹いっぱい。
08/05/13 12:34:14 Vv5WxXGa
それが「尊敬」へと180度変わったのは、生身の三島に触れて、たとえ弱さがあっても、そんな自分から決して逃げることはせず、
むしろ真正面から立ち向かって、より強くなろうとする三島の真摯な姿を間近でみつめてからだった。

杉山隆男
「兵士になれなかった三島由紀夫」より

117:名無しさん@お腹いっぱい。
08/05/13 12:35:09 Vv5WxXGa
ひたむきな三島に心動かされたのは山内ひとりではなかった。体験入隊してきた三島を、時には「平岡ッ」と本名で呼び捨てにしながら、手加減せず厳しく指導してきた教官や助教も、
あるいはともに汗を流し、隣り合わせのベッドで眠った訓練仲間の学生も、少なくとも私が話を聞いたすべての元兵士たちが口を揃えて、
鍛え上げられた上半身に比べて足腰の弱さが際立つ、三島の中のアンバランスを指摘しながら同時に、三島の愚直なまでの一途さにすがすがしいものを覚えていた。
要するに彼ら全員が、兵士になろうとして、世界のミシマとは別人のように弱さも含めてすべてをさらけ出した人間三島に惚れこんだのである。

杉山隆男
「兵士になれなかった三島由紀夫」より

118:名無しさん@お腹いっぱい。
08/05/14 13:06:34 YC1XoWpT
猪瀬直樹「三島由紀夫は、七十年に自衛隊のバルコニーに立って演説するわけです。
あの演説のとき、自衛隊員に罵倒されたでしょう。あれ、吉本さん、どうご覧になってました?」

吉本隆明「なんてやろうだ!と思ってました。死ぬ気でいる人間の言葉を、自衛隊に入隊して一緒に訓練した人間の言うことを、黙って聞いてやることぐらいしたらいいじゃないか。
これじゃ、三島さんが気の毒だ…、というのがホンネでしたね。」

1994年12月2日号「週刊ポスト」より


119:名無しさん@お腹いっぱい。
08/06/24 16:11:04 2Z9/ue3P
保守

120:名無しさん@お腹いっぱい。
08/07/08 15:18:00 IjrYpSBF
鶴田浩二「昭和維新ですね、今は。」

三島由紀夫「うん、昭和維新。いざというときは、オレはやるよ。」

鶴田「三島さん、そのときは電話一本かけてくださいよ。軍刀もって、ぼくもかけつけるから。」

三島「ワッハッハッハッ、きみはやっぱり、オレの思ったとおりの男だったな。」

「週刊プレイボーイ昭和44年7月8日号」(三島由紀夫映画論集成・所蔵)より


121:名無しさん@お腹いっぱい。
08/07/08 16:38:37 57nHfPTj
>>120
えらく威勢がいいが、父梓が書いてたが、
「暴漢が侵入したとき、家族の誰よりも早く、誰よりも遠くまで逃げたのが他ならぬムスコでした。
他の者は2、3軒先の民家に逃げ込んだので、事が済んですぐに呼び戻ったのですが、
彼だけは幾ら呼んでもでてきません。
あとで聞けば20軒くらい先の家に隠れていたそうです 笑」
こっちこそ、ワッハッハッハッだ。

122:名無しさん@お腹いっぱい。
08/07/15 15:50:59 0TgmSgDd
>>121
でも最後は威勢よかったからめでたしめでたし。

123:名無しさん@お腹いっぱい。
08/07/15 16:08:26 0TgmSgDd
(三島は)銀座方面に出かけるとき、海外旅行に出かけるとき、ちょっとたのむとかならずなんでも買ってきます。
…忘れたら忘れたでよいと申しましたが、数軒さがしてやっとあったと注文しないパイプも買って来てくれました。
いかなる些細なことでも、たのめばかならず履行してくれます。

平岡梓
「倅・三島由紀夫」より


124:名無しさん@お腹いっぱい。
08/07/15 16:09:22 0TgmSgDd
終戦前のことですが、荷物の疎開でズック袋やトランクをいくつも荷造りしましたが、
そのときも公威は、荷造りの手伝いをしたり、それぞれの荷物の中身を克明に手帳に記入してくれたり、自動車で運びにくい品物は大八車を借りて来て弟妹と三人で運んでくれました。
…公威はつねに先頭になっていやな仕事を引き受けて、ずいぶんこの弱い私を助けはげまし、一家の心の支柱となってくれました。

平岡倭文重
「倅・三島由紀夫」より


125:名無しさん@お腹いっぱい。
08/07/17 16:58:34 hTsNsoit

  「精神性を大事にする人の世界と、
   毎日を実利の世界に生きている人との、
   音信不通と言ってもいい断絶」

――辻井喬「叙情と闘争」・堤清二回顧録20 読売新聞08年06月07日――


126:名無しさん@お腹いっぱい。
08/07/20 02:13:24 1kGEUtiA
三島邸の ゴチック(?)趣味の様相はどんなモンだったんだろう?
大昔竹宮恵子(いっとき一世風靡)のマンションの白一色のアトリエを観た事があったが、
螺旋階段みて、三島邸の噺を想い出したのを想い出した。


127:名無しさん@お腹いっぱい。
08/07/26 11:27:23 qPyoFzJ9
>>126
写真集『三島由紀夫の家』をみると、アポロ像の床面に黄道十二宮がモザイク大理石で作られていたり、
家の内装や家具や置物もすべて南欧風の骨董美術のようなものでいっぱいですよ。

128:名無しさん@お腹いっぱい。
08/08/24 16:39:46 h87pZhrQ
三島由紀夫は徴兵検査に合格してます。その次の入営検査で、当日、高熱と咳がひどく、軍医が三島を結核と診断されました。
びっくりして帰京してから、別の医者が診て誤診とわかり、徴兵は来年、つまりその翌年に延ばされただけです。戦争が長引けば、三島も徴兵されてました。
それから、元々三島(平岡公威)は優等生だったため、特別甲種幹部候補生、或いは海軍予備学生になることができ、軍関係の学校に入ってエリートコースで学生を続けられました。
一兵で徴兵されるよりも、危険な戦場に赴くこともなかったでしょう。級友の三谷信もこの士官学校の学生でした。
三島が一兵で徴兵されることを選んだ時、学習院校長の海軍大将が三島を、特別幹部候補生になるように説得しましたが、
三島の一兵徴兵志願の決意は固く、校長は「仕方ない。君のデスティニィ(宿命)だね。」とあきらめています。


129:名無しさん@お腹いっぱい。
08/08/31 09:44:50 yFekqvVY
>>127
>家の内装や家具や置物もすべて南欧風の骨董美術のようなものでいっぱいですよ。

そうですか…。
三島のデコラティブな西欧耽美趣味の原因が気になりますね。

戦時、三島と同じ位の歳の
軍国少年-青年は当時一杯居ましたが、みんな貧しく 徴兵され 時にはアジアの地で
屍と成って行きました。才能豊かで将来を嘱望されながら15歳で海軍に入隊し
通信工兵の途を選び、太平洋での艦船被弾で爆殺された少年を
澤地久枝さんが静かにいとおしんで語って居ました。

愛国を騙る売国奴は古今東西遍在しています。
無論三島は売国奴でもなんでもありませんが、
自身の天才と恵まれた境遇に訣別せざるを得ない要因は何だったんでしょうかね。

130:名無しさん@お腹いっぱい。
08/09/01 12:55:29 46VSuFIY
>>129
戦争を煽ったのは、朝日新聞などの今、左翼と呼ばれているマスコミも荷担してます。

三島の書簡などを見ると三島は、ただ大衆的に軍国を煽るだけで、日本文化のことなど考えてない人たちのことを批判してます。
三島は少年時代から皇国で反米思想でしたが、書簡を読むと、軍国ではなくなにより日本文化を大切に思っていたのが解ります。
そういう人物だから、他国の文化の、何か日本文化と共通する華やかでありながら哀感や陰のある南欧などの要素に惹かれたんだと思います。
戦後は、米型支配のもと、日本文化の存亡の危機感を人一倍予感していた人物なんだと思います。

131:名無しさん@お腹いっぱい。
08/09/04 07:34:59 WwV1vNNE
三島が 日本文化の奥底に通暁して 深く理解していただろう事は
バカな私にも 少し分かります。
盆百の売国奴とは全く違うと思っています。
まして、戦後の売国右翼に辟易していた事も分かります。

しかし、自刃は別要因だとも思います。

国を護るのは 国軍だけでは無いからです。
深く自国の歴史と文化をいとおしみ愛する人間の集合が 国を護るのです。

132:名無しさん@お腹いっぱい。
08/09/05 11:41:17 d0YRNjPG
>>131
三島の死には、明治以降、政治家や軍人、自衛隊員に欠けてしまった武士道精神や日本文化の真髄を、自ら体現した諫死の意味があったと思います。


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