太平洋戦争をリアルで体験した奴→at CAFE50
太平洋戦争をリアルで体験した奴→ - 暇つぶし2ch142:名無しさん@お腹いっぱい。
04/06/13 01:18 Vmd51QQS
あしは、戦後生まれ53歳。晩酌の夕食事に父親からよく聞かされた。
北海道の帯広の海岸一帯に穴掘りの陣地を作るため、朝鮮人土工や
全道から今で言うボランティーの奉仕団と新兵で手作業の肉体戦闘。
父は2度目の徴兵で、上等兵の工兵で、夕張炭鉱などからの朝鮮土方
を監督してかなり酷い使い方をしていた。逃走した土方を民警団
(国防団?自警団?)と一緒に山狩りして沼地まで追いつめて、8人
のうち3人は手足が大怪我をしていた。そのうちの一人は、日頃から
反抗的で土方頭や軍の班長さんに叩かれて、アウトロな人だった。
日本名は高野さんを名のっていた。
駐屯地まで連れて帰るのも一晩かかりの山越えが大変らしく、追跡班長
の下士官の命令で彼を現地処分ー3人。
後ろ手結び、本人のズボンを脱がして頭からかぶして、班長の軍刀を
借り、一番目、高野さんの首をめがけて一振り。映画のようにはいかず
右肩にぐっさり刃が食い込み「あいごー・あいごー」腹底から泣き叫ぶ
の尻込みして、最後は腰の短剣をぬいて教本とうり心臓めがけて肋骨
刺しで急所押さえの殺害をきかされた。そのドタバタの間に、二人は
また逃げ出して捕まりじまい。終戦近くこの労務隊は元の炭鉱夫に戻り
落盤事故で死亡と二酸化中毒症廃人になり、父たちの殺害などの戦犯を
免れたそうです。 子供ながら人殺しの恐ろしさと、大人になって
しった父の悪業の理解。証拠・訴追が無いからシロの人生を父なり
おくった。 父は終戦時は旭川の師団本部勤めの運転手だったそうだ。
弘前出身の将校さんたちに誘われ、軍の備品を駐屯地から集め、
それを横流しの泥棒手伝いをしていたそうです。
手先金庫位の木箱3-4個に小指代のアンプル液と注射器がタンスの
奥にあったのが記憶にある。夜勤のある日には必ず打っていた。
親戚の家に預けてある、軍用トラックで駅荷物の下請け仕事にオール
ナイトで稼ぎをしていた。学校帰りのちゃぶ台の上には、ムシロに
包んだバナナの山。これも抜き荷技でしょう。
あの頃は生きていくことが大変だったのでしょう。
火葬した父の遺骨、みんなカリントウの屑のようにボロボロだった。


  


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