06/03/16 19:06:32 lQ7JPFbR
>>529
昭和三十年代の邦画界はの羽振りのよさは
今の在京キー局と電通を足して2で割らずにそのままというくらいのイメージで思ってもらえばよい。
斜陽期に入ってからも60年代一杯はその傾向が持続した。
そして昭和40年台に入ってからの在京キー局はそれに追いつく勢いで成長していた。
金城さんという人は、そこを上手く移行していった人で、邦画からテレビに見事にスライドした人と思ってもらえばいい。
>>金城氏が「お前は俺が東京でいくらギャラを取っていたか知っているのか!」と怒鳴った、と
だからこれは思い上がりというより本音だと思う。
東宝の幹部候補生の採用基準は、基本的に東大卒であること。
そして、一般企業の東大卒の給与の倍から三倍を支払っている。
幹部候補生って、現場では「助監督」のことだ。監督は幹部だからね。
一般企業の東大卒給料の三倍もらってる助監督がステージで雑巾掛けしているような世界。
それが当時の邦画界だった。