06/12/16 10:18:06 rsS/TBh+
マオのことを、キムは常に意識していた。
マオは多くの人々を酔わせ、無条件に従わせる魅力を
生まれながらに持っていた。
いや、それだけではない―キムは感じていた。
マオのその笑顔の下には酷薄さが内包されており、
それが熱狂的に受け入れられる最大の理由であると。
悔しいことだが、キムは自身の中にあるマオへの嫉妬を
認めざるを得なかった。
今の私はマオにすがりつくことしかできない。
そう今は…。しかし、いずれ私がマオを…
キムはまだ幼い息子の写真を手にそうつぶやいた。
1950年10月、国連軍が平壌を攻略せんがため迫りつつあった。
金日成は毛沢東(マオ・ツォートン)へ人民解放軍百万の派兵を要請した。