07/01/20 01:35:37 YUSAPIgi
しかし、少し文献をあさり、ネットで検索すれば、確かな反論=ネタへのツッコミを千単位で見つけることができる。
その後、冷静に東の論説を読み返すと、それが高度に発達した『オッスオラ極右のガイドライン』であることが理解できるだろう。
近ごろ低級な笑いが蔓延するオタク界を憂いた東渾身のフィロソフィック・ギャクに気づけた知識人はわずかしかおらず、東の落胆がうかがえる。
天才は常に孤独だ。
しかし、本作の魅力はそこだけではない。
東浩紀は哲学者であって、コメディアンではない。オタク文化への愛ゆえに本職をおろそかにすることはない。
哲学的な分析もしっかりおこなっている。
“大きな物語”が終わりを告げ、オタク文化は“動物化”した。
もはや現代のオタクは、ストーリー構成やキャラクターの心理描写、作品に込められたメッセージなどはまるで斟酌せずに、
“メガネっ子”“転校生”“メイド”“吸血鬼”などの記号=設定=属性を組み合わせ、それに“萌え”るだけの“動物”と化したというのだ。
勿論、この言説にも四方八方から何百何千もの反駁がある。
オタク諸君も、自分がストーリーの良し悪しも、キャラクターの内面も、作品のテーマも読み取れない/読み取らない、安易な萌えキャラと厨設定のみに動かされる白痴以下の“動物”である、という真実を認めたくない気持ちはよくわかる。
しかし、残念ながら、この仮説は厳然たる真実なのだ。
なぜなら、確固たる“証拠”があるからである。
『マキゾエホリック』
このライトノベルが、東浩紀の言説すべてを実証してしまったのだから。