06/02/04 21:39:18 gzGVsJvY
『エメラルド・ドラゴン』飛火野耀
ゲームのノベライズとは、一体どうあるべきか?
ゲームシステムの扱いはどうするか、ストーリーをどう削るか、それに伴いキャラクターをどう整理するか……
作家の手に委ねられる問題はあまりにも多い。
この一見簡単そうでその実深遠な問題に対して、究極の未だ解答は求められておらず、もっぱら久美沙織や
ベニー松山のように作家の力量に頼らざるを得ない状況だ。
そんな中でこの作者が選んだ解答が、本質の蒸留である。
作者はまず、プレイヤーを楽しませるための御都合主義(最もティピカルな例だと、魔物を倒すと貨幣を得られ
るシステムなどが挙げられる)が満載なゲームを小説に変換するために、一つの原則を根底に導入する。
それが、今では漫画『鋼の錬金術師』で有名になった「等価交換」の概念。
つまり、何かを得るには何かを失わなければならないという、冷静に考えると現実世界では当たり前な原則だ。
これに従って、ヒロインの愛を得た主人公は溶岩に沈み、美形の弓使いは始終頭をフラフラさせている吃音癖
の男に、美顔の英雄王は狩りの最中に事故でアッサリ死亡、魔王の弱点が薔薇の香りになったりなど、キャラ
クター設定は大きく変更されている。
勿論そんな設定をゲームのプロットに持ち込んでは不自然なので、ストーリーも原作の「勇者アトルシャンと楽
しい仲間たちの旅」から「魔王軍の戦争と並行して描かれるアトルシャン魂の遍歴」というよりハードな方向へと、
ほぼ完全に変更されているのは言うまでもない。
ここまでで、「それってゲームとなんも関係ねえじゃん」と思う人もいらっしゃるかもしれないが、それは早計とい
うものだ。
外面は変わっても各キャラクターの根本にある崇高さ・純粋さは不変であり、なにより原作の主題である「竜とヒト
の間に芽生えた愛」というテーマは、より悲劇性を高めた物語によって読者の心を強くうつ。
作者はこの作品で、ゲームのノベライズとはゲームを小説化したものではなく、ゲームの存在を念頭に置いた小
説なのだ、という新たな視点を提供したのである。
この小説で唯一残念なのは、その創作姿勢があまりにも斬新すぎて、全く流れを作り出せなかったことくらいであ
ろうか。
(個人的にはマジで名作だと思っているが、一般的には地雷だと思うんで……)