05/04/05 20:14:42 XCTnDJ+8
「ほめ」は「ごますり」とは違う。
それは 「なぜ私はこの人をかくも尊敬するのであろうか?」
「この作品のどこが私の琴線に触れるのだろうか?」
という自身への向けての問いかけをつきつめるものだからである。
「どうして好きなんだろう?」というのは、とてもたいせつな問いのかたちである。
もちろん「どうして嫌いなんだろう?」という問いもたいせつだけれど、
この二つは同じくらいの重みを持っていると思う。
しかし、世の批評家たちはどうも嫌悪や軽蔑を語ることをのみ専一的に
「批評的態度」だと思っている節がある。
「ふん」と鼻でせせら笑って「なもん、○○じゃねーよ」と言い捨てると、
それだけでなんだか知的なポジションが少しだけせり上がるというふうにお考えのようである。
不在のもの(例えば「真の傑作」「純粋な革命」「完全な愛」など)の名において
現実に存在するものを断罪していると、人々は批評的態度を通じて「自分が偉そうに見える」ことと、
「その発言から派生する責任はとらずにすませること」のふたつを同時的に達成できることを知るようになる。
人間は弱いものだから、こういう「おいしい」やり方を一度覚えてしまうと、
なかなかその嗜癖から抜け出すことができない。