05/05/20 03:26:56
何の説得力もない論法でも、「こうありたい」という話を
権威やブランドを傘に一方的に本でまくしたてられると
「その方が、良いかも知れない」という思考停止状態に陥ってしまう。
普遍的なテーマにみえても、作品の主題は同じ思想や利害関係を共にする
人間にしか届かないほど自己目的化している。
こういった村上龍的なスタンスの曖昧さからくる突飛な発想、考え方が、
戦後の民主化教育と称して日本中に蔓延し
70年代の公害問題をへてバブル経済時代にピークに達し、
今もなお日本社会にはびこる無責任体質のもとになっているのは明らかである。
10代のころに熱中した村上龍の作品を、この作品を見て感じた
不快感の元がどこにあったのか、過去の作品を再読してみてよく分かった。
そして自分も日々変わっているのだなということも。
つまり村上龍も今後、まだまだ変わって行く余地があるということ。
今の私は、私の親の世代である団塊の世代を軽蔑しているが、
彼らの親の世代の人間の書いたものやその人間には、共感、尊敬する
人が沢山ある。これはなぜだろうか。
歴史に学ぶのではなく、私はやはり
人間を通して人間を、そして自分を知りたい。
日本で今、左派と呼ばれている人達は、内省すべき時にあり
もっと他の人間の意見を打算抜きにして自分の中に取り込んで
考えてみるべきである。
心理的ひきこもり状態にあるのではないのであろうか。