05/04/24 22:56:05
>>417
>善玉も悪玉もいなく
>なるような相対化を徹底してるところ
こういうのは、相対化って言わない。
作品っていうのは、どういうカタチであれ、メッセージがある。
作者の意図がある。なければ、そんなのは小説じゃない。(取材ノートだ。)
つまり不在感でさえ演出なわけだよ。
差別しないってことの恐ろしさは、書いてる人間の匂いを消すってこと。
つまり、”俺はしらないよ~”っていう逃げでもあるということ。
しかし”村上龍 著”という冠はとらない。だから狡いと言っているんだよ。
レッテルを貼られることを恐れて、何も主張しなくなった人もいる。
常に安全地帯で無難なことを言ってインテリぶって、何もしないことで
結果、時の権力者のシステムの下支えになっている人がいる。
そして、巧妙にそれらをコントロールしつつ
立場を曖昧にして、読者や本を通した世論操作、印象工作を試みようと
する人間がいる。