04/05/19 20:58
日本人だから日本を書く、日本を書ける。
米国人だから米国を書く、米国を書ける。
先進国の場合には特に、そういうのがナンセンスでもないけど、
文学的価値を捉えにくくなりつつあるね。
政情不安で発展途上にあるような国の場合、国家や民族のアイデンティティを
ぜひとも描きたいという作家の意欲はぎらぎらしているし、受容する
こちらも読みごたえを素直に認められる気がするけど…。
>>497にもあったけれど、「90年代以降どうなったの?」って質問。
ひとつに挙げられそうなのは、亡命した作家中心に自国に留まった人でも、
国家や民族の枠の向うに飛び出す動きみたいなのが面白いと思うけど、
どうだろう?
飛び出すから寓話性や幻想性が高まった作品が多いわけだろうけど…。
「ナボコフの再来」アレクサンダル・へモン『ノーホエア・マン』も
とても面白かったな。